日本人には、「無限に遠い未来に向けて永遠の反復努力する能力」というのは非常にある。世界中があきれるほど、そういう努力には強いと言ってもいい。
日本人には、「目の前のタスクを達成する」という能力もある。世界中があきれるほど、そういう現場力には強いだろう。
だが、システマティックな構築能力、つまり「構造を論理的に考えて、適切な規模のゴールを設計する」という能力は、よく言われるとおり、やはり足りない気がする。、
だから、「誰かがカテドラルの設計図くれたら」、それにしたがって動ける。
だが、どんなカテドラルを作りたいか?というビジョンを設定するのは、難しい。なぜその設計が難しいかといえば、「努力職人」の発言権が強すぎるから、と言ってもいい。
努力職人は、目の前の仕事が、今までどおりに遂行されて、そこに払われた労力を労われることを望む。だから、努力職人を束ねて仕事させようとすると、いまの労働の無限反復だけ前提とした、予定調和的な中間管理職にならざるを得ない。起承転結ではなく、起承承承承承承承承承になる。
これでは、構造設計にはならない。
したがって、「過去の設計図の使いまわし」が横行するわけだ。
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216.81.59.173 に traceroute すると面白いという話を聞いたのでやってみた。
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(略)
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日本バーベキュー協会によると
一言でいうと、焼きながら食べる焼肉、焼き終えてから食べるバーベキュー
だそうです。
何が正義かわからなくなった時は思い出すのじゃ。
個人にとっての正義=好み
社会にとっての正義=勝者
この単純明快で嫌らしい真実をさわやかに認めてしまえば
長い眠りから目覚めたように実にすっきりとすべてが説明できる。
でも人には言うなよ。
こっそりとだ。こっそりと覚えとけ。
世間は真実が嫌いだからな。
(Source: twitter.com, via shibats)
僕には同じ芸能界でがんばっている同級生がいます
そいつとは中学、高校とズーと同じ学校でした
高校三年のときは同じクラスでした
その同級生は
さかな君です
彼は本当に魚が大好きでした
彼の持っているものは全部魚に関連しているものでした
鉛筆、消しゴム、下敷き何から何まで魚にまつわるものばかりでした
それだけでは飽き足らず授業中に先生に隠れながら教科書に魚の絵を描いていました
もっと驚いたことがあります
授業中に机の中に手を入れてゴソゴソしているので何をしているのかなと思い見てみると
フグの剥製をなでていました
中学の時に天然記念物のカブトガニが学校に運んでこられました
なんでも漁師さんの網にカブトガニがかかってしまいどうしたらいいのかわからなくなって
「そうだ!こういう時はさかな君だ!」となりカブトガニが中学校に連れてこられました
天然記念物なので学校で子供たちに勉強のためにという名目で国の許可をとってきたんだと思います
理科室にカブトガニの水槽が置いてありその中でカブトガニは元気に泳いでいました
僕は天然記念物というのは身近にいるんだなーと思いました
その当時の僕のあだ名は
天然記念物でした
みんなは僕のことをこんな風に見ているんだなーと思い共通点を必死に探しました
結局共通点などは見つかりませんでした
カブトガニは、なんシーズンも学校にいました
さかな君に大切に育てられだんだん増殖していきました
ある日でっかいカメラを持った人が中学校に来ました
なんでも「民間の人がカブトガニの孵化を成功させたのが初めて」とのことだったらしく大きく新聞に載りました
さかな君は表彰されました
もう中学校ときからその才能の片鱗は見えてました
さかな君に対して片鱗という言葉は本当にシックリ来ます
なんと言っても鱗ですから
魚には異常なほどの知識がありました
彼はもう高校の頃からテレビに出ていました
今は無くなりましたけどテレビチャンピオンという番組に出て
魚通選手権で何度も優勝していました
僕は全然勉強が出来なかったのでテストの5分前になると頭のよさそうな人にどこがテストに出るか聞きいて歩きました
さかな君にもテスト前に聞きました
たまたま、さかな君が僕の前の席でした
さかな君は丁寧に「ココとココは必ず出るから覚えておいて」と言われました
僕は糞馬鹿な頭を駆使して出るとこを何度も繰り返し覚えました
いざテスト用紙がが配られて見ると、さかな君が言っていたとこは
何一つ出ませんでした
僕はテスト中だというのに前に座ってるさかな君をコズキました
さかな君は「ゴメン」というジェスチャーと、ともに紙を僕に渡しました
カンニングペーパでした
僕はそんな悪いことをしたことがなかったのでビックリしてしまいましたが
ココは自分より大人しいさかな君が大胆な行動をしてきたので自分もココで怯んではいけない、
「なめられてしまうと」思いそのカンニングペーパーをもらいました
意外な一面でした
彼は以外にも度胸がすわっていました
ちなみに彼のカンニングペーパーは全部間違っていました
もちろんテストは全然駄目でした
漁夫の利とはいきませんでした
彼もテストは駄目でした
彼は魚のこと以外は、からきし駄目でした
僕はこの世界に入ってさかな君と同じ場所で仕事をしたことがありません
さかな君が母校で独演会をしたそうです
僕にはそんな依頼は来ませんがいつかは一緒に仕事でもしたいです
だいぶ前に、はねるのトびらの放送作家の方がさかな君と仕事を一緒したそうです
その放送作家の人にさかな君は僕宛の手紙を渡しました
僕は紙をもらった時に「二人で仕事が出来て昔にあったことや思ってたことが話せたら幸せだなー」と思いました
紙を見ました
ただサインが書いてあり
頼んでもない魚の絵がそこに書いてありました
連絡先も書いてありませんでしたし
一緒に仕事がしたいなどとは一切書かれていませんでした
半年以上前、情熱大陸という番組にさかな君がフューチャーされました
僕は学生時代の友達としてVTRで出ました
その時もさかな君と一緒ではなかったのでディレクターさんに自分の電話番号を書いて
「今度呑みに行くか釣りにでも行こう」と伝言を頼みました
いまだに彼から連絡はありません
Memoized Recursion: プログラマの区分
世の中には、24種類のプログラマがある。ソルジャー、マーシナリー、ガーディアン、ナイト、レンジャー、ドラグーン、サモナー、グラディエーター、ブラックスミス、エクソシスト、サイエンティスト、エンチャンター、ウィザード、アルケミスト、エレメンタリスト(←New!!)、セイント、ソーサラー、ウォーロック、ネクロマンサー、シャーマン、ハーミット、バーサーカー、ソーマタージ、ノービスだ。
ソルジャー
技術力は並みの、平凡なプログラマ。
得意な言語: C、Java、C++、Objective…
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AppleDesign Powered Speakers(M6082)。1993年発売。その当時にアキバで購入。
(Source: triblog, via apple-stream)
夕日に染まる美しい落ち葉の林を歩くとき、
ぼくは、自分が何者でもないことに感謝する。
もしボクが写真家だったら、ぼくはこの美しい光景を、
どうしたらきれいな写真に収めることができるか考えるだろう。
もしボクがミュージシャンだったら、この美しい光景を
曲にすることを考えるだろう。
もしボクがビジネスマンだったら、この美しい光景で、
金儲けをすることを考えるだろう。
もしボクが哲学者だったら、この美しい光景を見て、
哲学的な思索をはじめるだろう。
しかし、ぼくは何者でもない。
だから、この美しい光景を、
単にその美しい光景、それ自体として、そのまま素直に受け入れ、
味わい、楽しむことができる。
卒業シーズンの米国で、メディアの注目を一身に受けているのがシカゴ大大学院を卒業した日系人医学生、矢野祥さん(21、以下敬称略)だ。9歳で大学生となって以来、天才と呼ばれ続けてきたが「IQ200超」の異能に対する社会のまなざしは好意的なものばかりではなかった。天才一家の暮らしは“偏見”との戦いの日々でもあった。
6月9日、祥はシカゴ大学開校以来の最年少で医学部を卒業した。9歳で地元のロヨラ大学に入学、12歳で卒業、同年にシカゴ大大学院に進み18歳で生物学博士号を取得した。シカゴ大学によれば「祥はおそらく世界で最年少の生物学と医学のダブル博士号の保持者」だ。
「人類の役に立ちたいと思います」――。卒業証書を手にした祥は少年の面影を残した顔に笑みを浮かべた。3歳で教えもしないショパンのピアノ曲を突然弾き出したときには、慶恵も仰天した。母が弾くピアノの音をいつの間にか覚えたらしい。
「天才児現る」の報があれば、必ず寄ってくる大人がいるもので、めざとい欧州の音楽院から、4歳の祥を入学させ、ピアニストとして育てたいとの申し出があった。このときは「本人が自分で決める年になるまでは」と断っている。
小学校は地元の学校に普通に入学した。しかし、IQが200を超えるため天才児の専門学校への転校を勧められてしまう。同じ年齢の子どもが通う普通の学校では授業に退屈し、時間を無駄に過ごすだけだと判断した慶恵は学校の勧めに従い、カリフォルニア州の天才専門学校に入学させた。ところが、超エリートばかりを集めたはずの学校にも居場所はなかった。祥も慶恵も詳しくは語らないが、ずいぶん苦い経験をしたらしい。アジア人という人種への差別があったのだろうか。
行きついた先は自宅での学習。ホームスクールの教材を使い、母親自らが教師になるしかなかった。学校は一定のスピードでしか授業を進めないが、個人教師なら生徒が理解すれば次に進める。
2~3学年分の教材を9カ月ぐらいで終えてしまう祥はまもなく「お母さん、こうすればこの算数の問題は解けるよ」と母に教えるようになった。祥には確かに天分としかいいようのない素質がある。ブラックホールのように知識を吸い取る頭脳、みたページを写真的なイメージで丸ごと写し取る記憶力。ただそれだけでなく、母子が向き合った日々の積み重ねが超飛び級につながった、というのが実情だろう。
… 家族が守り続けてくれたからこそ今がある(母の慶恵さん、父の桂さん、妹のさゆりさん)
「勉強しろと強制したことはない」と慶恵はいい「タイガー・ママ」(米国で教育ママの意味)であることを否定する。
… スパルタ教育は施していない。とすると天才の道はどこから始まったのか。
慶恵に育て方を尋ねてみると、どうやら秘密は幼児時代にあるようだ。公園に遊びに行っては昆虫や花について話をする。階段を上るときは一段ずつ一緒に数えて、足し算や引き算のゲームをする。日常生活を学習につなげ「勉強は楽しい遊び」にする母の工夫が、子供たちに知る喜びを教えた。
父の影響も大きい。母とはオハイオ大学の美術史修士課程で一緒になった。油絵は玄人はだし、科学雑誌を愛読する。太陽のような母と、大地の落ち着きを持つやさしい父が子供たちに愛情を注ぎこんだ。家族の絆はとても固い。
天才と言われている日系・韓国系アメリカ人の矢野祥さんのレポート。なにせ、18歳で生物学のPh.D.。21歳で医師の資格と医学のPh.D.ですから。「人類の役に立ちたいと思います」か、カッコイイ。
偏見から守り続けた母の愛 天才少年一家の軌跡 :日本経済新聞
(via kashino)
(via kashino)
最初のバージョンの Windows は DOS 上で動作する荒削りのグラフィック シェルで、主にキーボードで使うように作られていました。マウスは完全にオプションで、マウスのある PC はきわめてまれでした。
実際、当時はマウスが一種珍奇なものと考えられており、詳しい知識を持つユーザーの多くは、非効率的で扱いにくく、人間工学的に不適切で、使いこなすのが難しいものと見なしていました。マウスは完全に異邦者だったのです。画面上を転がすものにも、手に持って話しかけるものにも見えました。
ここで、1980 年代前半の出版物から、マウスの将来性に関して発表された専門家の意見をご紹介しましょう。
- 「マウスは良いアイデアだが、ビジネス ユーザーの役に立つかどうかは疑わしい」(George Vinall、PC Week、1984 年 4 月 24 日)
- 「ユーザーがこういったものを使いたがる根拠はどこにもない」(John C. Dvorak、San Francisco Examiner、1984 年 2 月 19 日)
- 「使うのはとても楽しかったが、ビジネスの視点から考えると生産性に疑問を持たざるを得ない」(George Vinall、PC Week、1984 年 4 月 24 日)
- 「会社役員のような特定のターゲット層にとって、マウスはコンピューターを使いやすく馴染みやすいものにしてくれるのだろうか。答えはノーだ」(Computerworld、1983 年 10 月 31 日)
- 「会社役員にとって、このデバイスがキーボードよりも快適に感じられる可能性はまったくない。”回転性” のあるマウスは、仕掛けばかりに凝ったおもちゃのような感が否めない」(Computerworld、1983 年 10 月 31 日)
- 「現段階では、マウスとその仲間は単におもしろいというだけだ。革新的に見えるものが常に有用とは限らないわけで、そこには商業的寿命という真の試練が待っている」(David A. Kay、Datamation、1983 年 10 月)
ご覧のとおり、マウスは見せかけだけで必要なものではなく、主要な用途には役に立たないと考えられていました。
俺の思う「天才」の定義があって、それは「飽きる才能が無い人」
nora
あー
otsune
本能がブッ壊れている
飽きる能力がないと動物は死ぬけど
飽きずにトレーニングを続けられる人を結果的に天才と呼ぶんじゃないかと

